1951-02-16 第10回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第5号
そういう数の問題について争うのではありませんが、たといソヴイエト地区に何万人が、あるいは何千人がおるといたしましても、われわれが同胞の最後の一人まで引揚げてもらうということに努力することは、当然であろうと思うのであります。またたといいかなる人、いかなる団体であろうとも、そのことに協力してくれる人、そのことに熱心に働いてくれる団体に対してこれをお願いするということは、当然だろうと思います。
そういう数の問題について争うのではありませんが、たといソヴイエト地区に何万人が、あるいは何千人がおるといたしましても、われわれが同胞の最後の一人まで引揚げてもらうということに努力することは、当然であろうと思うのであります。またたといいかなる人、いかなる団体であろうとも、そのことに協力してくれる人、そのことに熱心に働いてくれる団体に対してこれをお願いするということは、当然だろうと思います。
併しながらこれは相手国のありますことがあつて、私は努力はいたしておりましたが、今なお中共、ソヴイエト地区において相当の数字が残つております。これに反してソヴイエトはもうすべて引揚げが完了したというような態度をとつておるので、誠に難澁するのでありますが、これは日本ばかりではありません。私の記憶によれば、フランスはなお二百万以上の引揚未了の者が残つておる。
これと影と形のような関係で、増田官房長官が、この前タス通信がソヴイエト地区からの引揚は完了したという発表があつたあとで、日本政府を代表して総司令部へ行き、そのあとで、あの発表は疑わしい、まだ三十万とか残つておる、そして、これについては恰かもこの徳田要請或いは僞証罪という問題を愚かにも問題にしておるやり方の方が根拠があるんだというふうな発表を新聞にやつております。で、これは政府代表としてやつておる。
こういうふうに言われておりますが、先程の問答からも明らかなように、水原選手のことなんかが事例に引出されましたが、今日までの多くの証人の証言によつて戰犯分子が僞つて引揚を急いだということがあり、その際例えば相当責任のある将校であつたものが、元上等兵であつたと僞つてナホトカまで来て、それが暴露されたというようなこともあり、それから水原選手がみずから語つているように、ソヴイエト地区にいたときは民主主義分子
それはこの前去年の暮の十二月二十三、二十四の二日間に亘つて多くの証人を呼んでソヴイエト地区における問題について証言を求めたのですが、そのとき加藤善雄証人から日本新聞記者須藤が昭和二十二年十二月ウォロシーロフ第五七一労働大隊において在ソ中の俘虜は約三〇%死亡したと言つたとの証言を行なつたについて、事実とそれは違うという申入がありまして、そうして須藤氏は岡元委員長を大分探したようですが、なかなか会えなくて
○中野重治君 正規の手続というものの具体的内容は今のお答えでは明瞭でないようですが、これはいずれ調査の上報告があるだろうと思いますが、満刑者、それから一般俘慮をも含めてソヴイエト地区から日本人が帰つて来る場合、何らか不正規な手続で帰るということはあり得ますか。
それであなたは、あなた自身の主観においては相当の根拠で百万人前後と見ておられるのだろうと思いますが、こういう滿洲に残つておつて引揚げるべき基礎数字、百十万五千八百三十七人の中から死んだ分は全部ソヴイエト地区へ行つて死んだと、こうなる。この算術があなたの感想では尤もに見えますか、どうですか。
それからシベリヤ、ソヴイエト地区で死んだ人の数は一九四五年中には、これは状態が非常に惡くて一〇%死んだという、こういう発表がされているのです。そうしますと、問題の性質を分つて頂くために少し説明するのですが、百六十一万の一〇%だと、算術で十六万程になるわけですね。ところが又最近の対日理事会で発表された数を見ますと、一〇%が二十七万二千三百四十七人と、こうなつておるのです。
ところが先に問題になつた算術から行くと、満洲地区では誰も死んでいない、死んだのは皆ソヴイエト地区に行つて死んだということになると計算が合うのです。満洲地区において相当の人が、殊に最初の頃は死んだと私に思えるのですが、満洲地区において全く死亡がなかつた。こうあなたも思われるか、思われないかということをお答え願いたい。
それでこれは大事な問題でありまして、党派の如何に拘わらず実情を調べに行けば確たる結論に達し得る筈でありますから、どうしてもやらなくてはならん、これが一つ、それからもう一つき、淺岡委員からはソヴイエト地区という言葉で出ておりますが、すでにこの委員会でも或る程度明らかになつて来ておりますように、又衆議院並びに参議院で問題になつたときも、話の中に出ておりますが、我々の同胞が尚残留していると思われる全地域に
それはソヴイエト地区、その他の地区関係でいろいろ異つた点も出て来るだろうとは思いますけれども、これは芦田内閣の時でありましたけれども、ソヴイエト政府では、ラジオ放送を通して向うに残つている人の名前と、それからその帰りを待つておる日本側の家族の所在等を放送して、近い中に帰るからという放送をしておりました。これは日本語放送としてやつておつた。
○證人(津村謙二君) 淡徳三郎氏がいわゆる確かチタだと思いますけれども、そうしたところにおいて生活しておつて、どのようにしていわゆるソヴイエト地区における各收容所の状態を調べたかどうか私は知りませんけれども、私は少くも輸送が始まつた最初からナホトカにおいてこの眼で見たところの現実というものは、私がさつき簡單にお話いたしましたように、非常に元氣でやつて來るところの部隊は民主運動をやつたところの人達、勿論民主運動
この前にソヴイエト地区からの輸送が一時停止されまして、我々はこれで輸送が終つたのだとこう思つておつたのであります。そうしたときに、今までの貨車の二倍程の量を以てナホトカに來たのが、いわゆるウランバートルからの二千名の梯團でありました。これを私達はいつもの梯團と同じように、又仲間が來たというのであの駅へ駈けつけて、そうしてあれを迎えました。
それでいわゆるソヴイエト地区からの引揚げの、いわゆる各收容所における状況をそこに來るところの兵士達と共に話し、そのいわゆる來るところの樣子を見てそうしたところのことを初めてはつきりと掴み得たのであります。
次に第二点のソヴイエト地区だけに限らずに中共その他の方面にも拡げるというお話でございまして、この法律を委員のお力によりまして制定して頂きまして、誠に有難く存じておるものでございますが、やつて見ますというと、確かにお説の通り対象が限られておりまして、只今お話のような例も見えて來るようでございますので、我々といたしましても是非更に拡げたいというふうに考えております。
それからこれは懇談会においてやりたかつたのですが、委員会において先ず各委員に御了解を得たいのは、特別未帰還者給與法の立法に当りまして、時間的余裕がなかつたためにソヴイエト地区というここに文字が入つたわけであります。併しながら実際問題としては、地方におきまして中共地区に行つておる者、そういう者の家族が自分たちの方には、全然何も貰えない。
○北條秀一君 私はこの特別未帰還者給與法の制定される時には、丁度東北に出張しておりましたので、最後には参加できなかつたのですが、その出張する前に、特別未帰還者給與法というのは、ソヴイエト地区のみならず中共地区その他の地域にも適用されるものだというふうに理解して私は向うに参りました。